2011/07/12

ZEROということ

真っ白い画用紙と鉛筆

まっさらな画用紙に自由に描いてよいとしても、いざ描こうとするとこれが中々の難儀。物作りを仕事しているなかで今でも難しいと思う。ここで描ける人と描けない人で二分される。描けたけど相手に伝わらない様な物を描く人も、どこかで見た事がある物を真似て書く人、まったく訳が分からないが心に届くもの。色々ありますね。パソコンが一般家庭に普及し、インターネットから情報を得て、人の持つ情報量が昔に比べて格段に上がった。いいのかわるいのか便利なアプリケーションが沢山あります。アプリケーションの前に人の考えついたアイディアを我が物顔で使う人もまた多くなりました。情報転用する人もまた然り。パソコンの機能で一番使う機能がコピーですね。文章をコピーしたり、画像をコピーしたり。そこから展開して新たな物を作る事も容易になり、次第にコピーするという事がどんな事か認識が薄れて行きます。流用、転用で溢れかえるパソコンの世界。またはネット社会。今、ZEROから物作りを出来る人がどれほどいるのか疑問です。自分もそう。仕事柄、アンテナをたてて情報をキャッチしよいアイディアは吸収し、吐き出して行く。作るという大切さをどこか置き去りにする場面が多々あります。はっと自分に帰れるからまだなんとか意識のリセットはできますけどね。

人の作った物のコピーばかり、人まねばかりしてきた人程、ZEROから作るという事が出来ない。それは形なのかアイディアなのかは置いといて。作るという事の大変さ、面白さ、辛さを理解する人がこのまま少なくなって欲しくはないですね。投資で儲けるより、作って儲けた方が何十倍も価値があります。



あなたの作っている物は、著作権大丈夫ですか?

作る事の最初は誰しもマネから入ります。贋作ですね。技法やセンスをそこで磨いて行くもの。それをあたかも自分が作ったかのように、我が物顔になってはいけません。作ると創れるはまったく違います。制作者ならいつも心のどこかになければならないはずです。まったくのZEROから創る事。伝統を踏まえた中に独創性を見出さなければ、後世に残るものなど創れるはずがありません。創る仕事をしているからこそ忘れてはならない意識。その心得を兼ね備えたデザイナー(あらゆるジャンル)がより多く活躍出来る事を切に願います。


最後に… 「コピー品ばっか作ってんじゃねぇ! バカぁ」と
叫んでみたりします。